若柳吉三次 恵華 日本舞踊教室 稽古場は渋谷・岡山
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若柳鵬翁プロフィール

若柳鵬翁 若柳鵬翁 若柳鵬翁(初代若柳吉三次)
職業
日本舞踊家(正派若柳流)
肩書(存命中)
元弘会・若柳吉三次古典舞踊研究会主宰
正派若柳会相談役・日本舞踊協会顧問
日舞芸術学院初代学頭
本名
幸岩元三郎(コウイワ モトサブロウ)
別名
歌舞伎俳優名=坂東 三津児(バンドウ ミツコ)
前名
若柳 吉三次(初代)(ワカヤギ キチサンジ)
生年月日
大正元年8月26日 東京生まれ
学歴
山田小〔大正14年〕卒
経歴
3歳で2代目坂東三津之助の養子となり、4歳で歌舞伎の初舞台を踏み、山本有三の小説「子役」のモデルとなって注目を浴びた。 歌舞伎界を離れ舞踊家となりその役者仕込みの芸風と華やかさに加え面白味のある、江戸前で飄逸、色気のある踊りに定評。三味線を得意とする。

大正6年 芸名坂東三津児となる。
大正11年 坪内逍遥作御伽劇「すくなびこな」主人公となる。(有楽座・帝国劇場)
大正13年 若柳流初代寿童の高弟、吉三郎に師事。長唄は杵屋和吉に師事。
大正15年 歌舞伎界を離れ、舞踊一筋に。
昭和4年 若柳吉三郎により吉三次の名を許される。
昭和8年10月4日 第三回若柳吉三次主催舞踊会より「元弘会」と名をつけ開催始める。
昭和32年6月~5月 日本舞踊協会参与務める。
昭和39年1月 アラブ連合共和国文科省招きで第一回国民民族フェスティバル日本代表団としてカイロに渡航。
昭和40年~ 若柳吉三次古典舞踊研究会を開催。
昭和48年6月~平成11年5月まで日本舞踊協会理事務める。
昭和53年 パリ市主催国際舞踊フェスティバル日本舞踊協会初の海外公演「操り三番叟」出演。
昭和55年7月7日 「初代 若柳吉三次~踊りばか一代~」という本を出版
昭和59年 脳こうそくで倒れるが、復帰。
平成2年2月19日 若柳吉三次舞台生活70周年若柳吉三次・舞踊の会南座にて開催。
平成3年 正派若柳会会長に就任。平成5年鵬翁と改名。
平成5年1月27・28日 歌舞伎座にて襲名披露会開催。
平成5年4月10日 京都・南座にて襲名披露会開催。
平成11年6月~平成19年8月11日 日本舞踊協会顧問務める。縁の幸若舞の研究者。


所属団体: 日本舞踊協会
受賞: 紫綬褒章〔昭和54年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和59年〕 京都芸術祭最高芸能大賞,芸能功労者表彰〔昭和57年〕,花柳寿応賞〔昭和59年〕,舞踊芸術賞〔昭和59年〕
没年月日 平成19年 8月11日 (2007年) 94歳にて逝去。
家族養父=坂東 三津之助(2代目)(歌舞伎俳優)
長男=若柳 吉三次(2代目)(日本舞踊家)
若柳鵬翁若柳鵬翁

二世 若柳吉三次プロフィール

若柳吉三次若柳吉三次 二世若柳吉三次
職業
日本舞踊家(正派若柳流)
肩書(存命中)
若柳雅康舞踊研究会主宰
正派若柳会相談役/日舞芸術学院院長
日本舞踊協会顧問
本名
幸若正泰(コウイワ マサヤス)
前名
若柳雅康(初代)(ワカヤギ マサヤス)
生年月日
昭和10年8月24日 東京生まれ

若柳鵬翁より10歳の時(昭和21年3月)手ほどきを受ける。それから18年後28歳の時新作舞踊創り始める。
指導者・舞踊家として活動しながら創作・作曲もこなし知的才能に富み他のジャンルとの企画プロデュース振付・演出・普及活動など多岐に手掛ける(全舞踊連盟・日本舞踊協会など)。舞踊家でなければ三味線弾きになりたいほど好きで得意であった。

経歴
昭和21年3月 10歳 父 若柳鵬翁に手ほどきを受ける。
昭和25年 暁星中学校卒業。
昭和27年 正派若柳会名取となる。
昭和29年 暁星高等学校卒業。
昭和32年 第6回世界友好祭モスクワ大会銀賞受賞。
昭和33年 早稲田大学卒業。
昭和34年2月14日 若柳松葉(旧 市山松葉)と結婚(東京大神宮)。
昭和39年10月12日一回目若柳雅康舞踊研究会「徳川家康」発表する。
「ちんちん小袴」「於大曼荼羅」「弥勒」「俊寛」イイノホール。
昭和40年10月15日 二回目若柳雅康舞踊研究会「徳川家康」発表する。
「祈太鼓」「若獅子行路」イイノホール。
昭和44年1月 三回目若柳雅康舞踊研究会 国立劇場。
昭和53年3月 四回目若柳雅康舞踊研究会 国立劇場。
昭和55年 日舞芸術学院院長となる。
昭和60年1月~5月 日本舞踊協会事務局長務める。
昭和60年6月~平成13年5月 日本舞踊協会理事を務める。
昭和63年 ロスアンゼルス日米会館での日本舞踊に感謝状。
平成5年 若柳吉三次に改名。
平成5年1月27・28日 歌舞伎座にて襲名披露会開催。
平成5年4月10日 京都・南座にて襲名披露会開催。
平成13年6月~24年7月14日 日本舞踊協会顧問務める。
平成5年1月27・28日 歌舞伎座にて襲名披露会開催。
平成5年4月10日 京都・南座にて襲名披露会開催。
平成13年6月~24年7月14日 日本舞踊協会顧問務める。縁の幸若舞の研究者。


所属団体: 日本舞踊協会
受賞: 第6回世界友好祭モスクワ大会銀賞受賞〔昭和32年〕
作品: 新邦楽 「星」「露」「月」「虹」・長唄「富士」新幸若舞「百合若大臣」ユリシーズより
没年月日 平成24年7月14日午後1時21分 76歳にて逝去。
父=若柳鵬翁(初代)(日本舞踊家)


【関連ブログ】
訃報
二代目 若柳吉三次葬儀
月刊 日本舞踊 第64巻 9月号に掲載
若柳吉三次若柳吉三次 訃報掲載

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若柳松葉プロフィール

若柳松葉若柳松葉
若柳松葉
本名
幸若まち子(旧 加藤まち子)
生年月日
昭和十年十月五日東京生まれ
プロフィール
幸岩株式会社代表取締役社長
日本舞踊協会会員 城南ブロック所属
日舞芸術学院学頭
幸若舞芸術文化協会会長
母である市山柳家元初代市山幸に入門
牛込津久戸小学校卒業
昭和23年市山流(市山松葉)名取となる
その後舞踊家として舞台など多方面で活躍
六世藤間勘十郎氏に師事
昭和32年第6回世界平和友好祭モスクワ東洋古典舞踊部門 金賞受賞(鷺娘にて)
日本テレビ 連続ドラマ「太閤記」主演 お市の方役
昭和34年二代目吉三次と結婚
昭和40年正派若柳流若柳会師範名取りとなり若柳松葉となる。
現在 娘恵華と「おさらい会」「春の舞初め会」等を主催
幸若舞芸術文化協会会長として、幸若舞、日本舞踊を広める活動を推進。
若柳松葉

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