芸の魂は、時代を超えて受け継がれる。
初代
若柳 鵬翁
本名 幸若 元三郎 (こうわか もとさぶろう)
別名 歌舞伎俳優名=坂東 三津児 (ばんどう みつこ)
山本有三の小説『子役』のモデルとして脚光を浴び、二代目坂東三津之助の親戚の養子として4歳で初舞台を踏んだ華々しい経歴を持つ。しかし、その道に安住することなく、大正15年に舞踊家への転身を決意。歌舞伎で培われた華やかさと、江戸前の粋と色気を纏った飄逸な踊りは唯一無二の芸風として定評を得る。演者として舞台に立つ傍ら、幸若舞の研究にも情熱を注いだ。


4歳で初舞台、長唄『白酒売り』

歌舞伎俳優名「坂東三津児」を襲名
「若柳吉三次」を襲名
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パリ市主催国際舞踊フェスティバル出演
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紫綬褒章を受賞
『初代 若柳吉三次~踊りばか一代』を出版
「若柳鵬翁」に改名
日本舞踊協会顧問に就任
受賞 | 紫綬褒章(昭和54年) 勲四等旭日小綬章(昭和59年) 京都芸術祭最高芸能大賞 芸能功労者表彰(昭和57年) 花柳寿応賞(昭和59年) 舞踊芸術賞(昭和59年) |
没年月日 | 平成19年8月11日 (2007年) 94歳にて永眠 |
二代目
若柳 吉三次
本名 幸若 正泰 (こうわか まさやす)
父・鵬翁から手ほどきを受け、12歳で『共奴』にて初舞台を踏む。28歳からは創作舞踊の世界に足を踏み入れ、指導者・舞踊家としての活動と並行し、作曲家・振付家としてもその知的才能を遺憾無く発揮。『徳川家康』『富士』といった代表作を次々と生み出した。「舞踊家でなければ三味線弾きに」と語るほど三味線を愛した、多才な芸術家であった。

12歳で初舞台、長唄『供奴』

第6回世界友好祭モスクワ大会銀賞受賞

若柳松葉(旧・市山松葉)と結婚

一回目若柳雅康舞踊研究会で『徳川家康』発表
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二代目吉三次作曲・振付『富士』を発表
日舞芸術学院院長に就任
日本舞踊協会理事に就任

「若柳吉三次」に改名

受賞 | 第6回世界友好祭モスクワ大会銀賞受賞(昭和32年) |
作品 | 新邦楽『星』『露』『月』『虹』 「星」・長唄『富士』・新幸若舞『百合若大臣』ユリシーズより |
没年月日 | 平成24年7月14日(2012年)76歳にて永眠 |
三代目
若柳 吉三次
本名 幸若 知加子 (こうわか ちかこ)
旧名 若柳 恵 華 (わかやぎ けいか)
1歳3ヶ月という異例の若さで『菊づくし』にて初舞台を踏み、舞踊家としての道を歩み始める。祖父・鵬翁と父・二代目から受け継いだ芸を自らの内で深化させ、2025年、満を持して「吉三次派若柳流」を創始。古典の継承を活動の核としながらも、CM振付から大学での講義、メディアでの映像配信まで、その表現活動はジャンルの垣根を越える。特に、自らの苗字の所以でもある「幸若舞」の継承と発展に情熱を注ぎ、伝統の先に新たな舞踊の地平を切り拓いている。


1歳3か月で初舞台、長唄『菊づくし』
「若柳恵華」を襲名
JRA クリーンキャンペーン CM 振付

日本・カンボジア友好舞踊参加

日本舞踊協会新作公演『かぐや』主演
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新宿アルタビジョン・伊勢丹立川ビジョンにて日本舞踊放映
京都大学にて非常勤講師として講義

東京国際エアターミナルにて『七夕娘・織姫の夢』放映

東京コレクションにて、幸若舞『敦盛』披露
三代目「若柳吉三次」襲名
プロフィール
経歴
- 恵華乃会 / 華乃会 主催
- 日本舞踊協会城南ブロック委員
- 日本舞踊21準会員
- 創作自由市場実行委員
- 京都大学非常勤講師
主な受賞歴
- 第三回日本舞踊大会 大会賞
- サンリオ日本舞踊ジュニアコンテスト優秀指導者賞(2000~2002年、 3年連続受賞)
- 東京新聞主催全国舞踊コンクール優秀指導者賞(2006、2007年、 2年連続受賞)
- 各流派合同新春舞踊大会 (会長賞1回、大会賞 3 回、 奨励賞 10 回)
ご挨拶
この度、父、二代目若柳吉三次の遺言でありました「三代目若柳吉三次」を襲名させていただく運びとなりました。
祖父、初代吉三郎改め初代吉三次、そして父、二代目吉三次と受け継がれて参りました吉三次の名跡を襲名出来ますことは、望外の喜びでございます。
今後は、幸若舞継承者と致しましても、日本の伝統と技能の継承、発展に尽力していく所存でございます。何卒、旧倍の御指導、御鞭撻を賜りますよう、謹んでお願い申し上げます。